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  • 2007.01.03 Wednesday
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同棲生活

     同棲生活

 医学生吹矢は、目の前のテーブルの上に寝そべる生ける腸(はらわた)と、遊ぶことを覚えた。
 生ける腸(はらわた)は、実におどろいたことに、感情に似たような反応をさえ示すようになった。
 彼はスポイトで[#底本では「彼がスポイトで」]もって、すこしばかりの砂糖水を、生ける腸(はらわた)の一方の口にさしいれてやると、腸(ちょう)はすぐ活撥な蠕動をはじめる。そして間もなく、腸(ちょう)の一部がテーブルの上から彼の方にのびあがって、
「もっと砂糖水をくれ」
 というような素振りを示すのであった。
「あはあ、もっと砂糖水がほしいのか。あげるよ。だが、もうほんのちょっぴりだよ」
 そういって吹矢は、また一滴の砂糖水を、生ける腸(はらわた)にあたえるのだった。
(なんという高等動物だろう)
 吹矢はひそかに舌をまいた。
 こうして、彼が訓練した生ける腸(はらわた)を目の前にして遊んでいながらも、彼は時折それがまるで夢のような気がするのであった。
 前から彼は、一つの飛躍的なセオリーをもっていた。
 もしも腸(はらわた)の一片がリンゲル氏液の中において生存していられるものなら、リンゲル氏液でなくとも、また別の栄養媒体の中においても生存できるはずであると。
 要は、リンゲル氏液が生きている腸(はらわた)に与えるところの生存条件と同等のものを、他の栄養媒体によって与えればいいのである。
 そこへもっていって[#底本では「そこにもっていって」]彼は、人間の腸(はらわた)がもしも生きているものなら、神経もあるであろうしまた環境に適応するように体質の変化もおこり得るものと考えたので、彼は生ける腸(はらわた)に適当な栄養を与えることさえできれば、その腸(はらわた)をして大気中に生活させることも不可能ではあるまい――と、机上で推理を発展させたのである。
 そういう基本観念からして、彼は詳細にわたる研究を重ねた。その結果、約一年前になってはじめて自信らしいものを得たのである。
 彼の実験は、ついに大成功を収めた。しかもむしろ意外といいたい簡単な勤労によって――。
 思索に苦しむよりは、まず手をくだした方が勝ちであると、さる実験学者はいった。それはたしかに本当である。
 でも、彼が思索の中に考えついた一見荒唐無稽の「生ける腸(はらわた)」が、こうして目の前のテーブルの上で、ぐるっ、ぐるっと生きて動いているかとおもうと、まったく夢のような気がするのであった。
 しかももう一つ[#底本では「しかしもう一つ」]特筆大書しなければならないことは、こうして彼の手によって大気中に飼育せしめられつつあるところの腸(はらわた)が、これまで彼が予期したことがなかったような、いろいろ興味ある反応をみせてくれることであった。
 たとえば、今も説明したとおり、この生ける腸(はらわた)が砂糖水をもっとほしがる素振りを示すなどということはまったく予期しなかったことだ。
 それだけではない。腸(はらわた)と遊んでいるうちに彼はなおも続々と、この生ける腸(はらわた)がさまざまな反応を示すことを発見したのだ。
 細い白金の棒の先を生ける腸(はらわた)にあて、それからその白金の棒に、六百メガサイクルの振動電流を伝わらせると、彼の生ける腸(はらわた)は急にぬらぬらと粘液をはきだす。
 それからまた、吹矢は生ける腸(はらわた)の腸壁の一部に、音叉でつくった正しい振動数の音響をある順序にしたがって当てた結果、やがてその腸壁の一部が、音響にたいして非常に敏感になったことを発見した。まずそこに、人間の鼓膜のような能力を生じたものらしい。彼はやがて、生ける腸(はらわた)に話しかけることもできるであろうと信じた。
 生ける腸(はらわた)は、大気中に生活しているためにその表面はだんだん乾いてきた。そして表皮のようなものが、何回となく脱落した。この揚句の果には、生ける腸(はらわた)の外見は大体のところ、少し色のあせた人間の唇とほぼ似た皮膚で蔽われるにいたった。
 生ける腸(はらわた)の誕生後五十日目ころ――誕生というのは、この腸(はらわた)が大気中に棲息するようになった日のことである――においては、その新生物は医学生吹矢隆二の室内を、テーブルの上であろうと本の上であろうと、自由に散歩するようになるまで生育した。
「おいチコ、ここに砂糖水をつくっておいたぜ」
 チコというのは、生ける腸(はらわた)に対する愛称であった。
 そういって吹矢が、砂糖水を湛えてある平皿のところで手を鳴らすと、チコはうれしそうに、背(?)を山のように高くした。そしてチコに食欲ができると、彼の生き物はひとりでのろのろと平皿の[#底本では「灰皿の」]ところへ匍ってゆき、ぴちゃぴちゃと音をさせて砂糖水をのむのであった。その有様は、見るもコワイようなものであった。
 かくて医学生吹矢隆二は、生ける腸(はらわた)チコの生育実験をまず一段落とし、いよいよこれより大論文をしたため、世界の医学者を卒倒せしめようと考えた。
 ある日――それはチコの誕生後百二十日目に当っていた。彼はいよいよその次の日から大論文の執筆にかかることとし、その前にちょっと外出をしてこようと考えた[#底本では「外出してこようと考えた」]。
 いつの間にか、秋はたけ、外には鈴懸樹の枯葉が風とともに舗道に走っていた。だんだん寒くなってくる。彼一人ならばともかくも今年の冬はチコとともに暮さねばならぬので電気ストーヴなども工合のいいものを街で見つけてきたいと思ったのだ。
 また買い溜をしておいた罐詰もすっかりなくなったので、それも補充しておきたい。チコのために、いろんなスープをさがしてきてやろう。
 彼はこの百数十日というものを、一歩たりとも敷居の外に出なかったのである。
「ちょっと出かける。砂糖水は、隅のテーブルのうえに、うんと作っておいたからね」
 彼は急に外が恋しくなって、チコに食事の注意をするのもそこそこに、入口に錠をおろし、往来にとびだしたのだった。

誤算

     誤算

 医学生吹矢隆二は、つい七日間も外に遊びくらしてしまった。
 一歩敷居を外に踏みだすと、外には素晴らしい歓喜と慰安とが、彼を待っていたのだ。彼の本能はにわかに背筋を伝わって洪水のように流れだした。彼は本能のおもむくままに、夜を徹し日を継いで、歓楽の巷を泳ぎまわった。そして七日目になって、すこしわれにかえったのである。
 チコの食事のことがちょっと気になった。日をくってみると、あの砂糖水はもうそろそろ底になっているはずだった。
「まあ一日ぐらいは、いいだろう」
 そう思って彼はまた遊んだ。
 その日の夕方、彼はなにを思ったか、足を○○刑務病院にむけた。そして熊本博士を訪問したのであった。
 博士は、吹矢があまりに人間臭い人間にかわって応接室に坐っているのを見て愕いた。
「この前の一件は、どうしたですか」
 と、博士はそっとたずねた。
「ああ、生きている腸(はらわた)のことだろう。あれはいずれ発表するよ、いひひひ」
「一件は何日ぐらい動いていましたか」
「あはっ、いずれ発表する、だがね熊本君。腸(はらわた)というやつは感情をあらわすんだね。なにかこう、俺に愛情みたいなものを示すんだ。本当だぜ。まったく愕いた。――時にあれは、なんという囚人の腸(はらわた)なんだ。教えたまえ」
「……」
 博士は返答をしなかった。
 いつもの吹矢だったら、博士が返答をしなかったりすると、頭ごなしにきめつけるのであるが、その日に限り彼はたいへんいい機嫌らしく、頤をなでてにこにこしている。
「それからね、熊本君。ホルモンに関する文献をまとめて、俺にくれんか。――ホルモンといえば、この病院にいた例の美人の交換手はどうした。二十四にもなって、独身で頑張っていたあの娘のことだよ」
 と、吹矢は変にいやらしい笑みをうかべて熊本博士の顔をのぞきこんだ。
「あ、あの娘ですか――」
 博士は、さっと顔色をかえた。
「あの娘なら、もう死にましたよ、盲腸炎でね、だ、だいぶ前のことですよ」
「なあんだ、死んだか。死んだのなら、しようがない」
 吹矢は、とたんにその娘のことに興味を失ったような声をだした。そしてまた来るといって、すたすたと室を出ていった。
 その夜更けの午前一時。
 医学生吹矢隆二は、ようやく八日目に、自宅の前に帰ってきた。
 彼はおもはゆく、入口の錠前に鍵をさした。
(すこし遊びすぎたなあ。生きている腸(はらわた)――そうだチコという名をつけてやったっけ。チコはまだ生きているかしら。なあに死んでもいいや。とにかく世界の医学者に腰をぬかさせるくらいの論文資料は、もう十分に集まっているからなあ)
 彼は、入ロの鍵をはずした。
 そして扉をひらいて中に入った。
 ぷーんと黴くさい匂いが、鼻をうった。それにまじって、なんだか女の体臭のようなものがしたと思った。
(おかしいな)
 室内は真暗だった。
 彼は手さぐりで、壁のスイッチをひねった。
 ぱっと明りがついた。
 彼は眩しそうな眼で、室内を見まわした。
 チコの姿は、テーブルの上にもなかった。
(おや、チコは死んだのか。それとも隙間から往来へ逃げ出したのかしら)
 と思ったが、ふと気がついて、出かけるときにチコのために作っておいた砂糖水のガラス鉢に眼をやった。
 ガラス鉢の中には、砂糖水がまだ半分も残っていた。彼は愕きの声をあげた。
「あれっ、今ごろは砂糖水がもうすっかりからになっていると思ったのに――チコのやつどうしやがったかな」 
 そういった刹那の出来事だった。
 吹矢の目の前に、なにか白いステッキのようなものが奇妙な呻り声をあげてぴゅーっと飛んできた。
「呀(あ)っ!」
 とおもう間もなく、それは吹矢の頸部にまきついた。
「ううっ――」
 吹矢の頸は、猛烈な力をもって、ぎゅっと締めつけられた。彼は虚空をつかんでその場にどっと倒れた。
 医学生吹矢の死体が発見されたのは、それから半年も経ってのちのことであった。一年分ずつ納めることになっている家賃を、大家が催促に来て、それとはじめて知ったのだ。彼の死体はもうすでに白骨に化していた。
 吹矢の死因を知る者は、誰もなかった。
 そしてまた、彼が残した「生ける腸(はらわた)チコ」に関する偉大なる実験についても、また誰も知る者がなかった。
「生ける腸(はらわた)」の実験は、すべて空白になってしまった。
 ただ一人、熊本博士は吹矢に融通した「生ける腸(はらわた)」のことをときおり思いだした。実はあの腸(はらわた)はどの囚人のものでもなかったのである。
「生ける腸(はらわた)」はいったい誰の腹腔から取り出したものであろうか。
 それは○○刑務病院につとめていた二十四歳の処女である交換手のものであった。彼女は盲腸炎で亡くなったが、そのとき執刀したのは熊本博士であったといえば、あとは説明しないでもいいだろう。
 処女の腹腔から切り放された「生きている腸(はらわた)」が医学生吹矢の首にまきついて、彼を殺したことは、彼の死をひそかに喜んでいる熊本博士もしらない。
 いわんや「生ける腸(はらわた)」のチコが、吹矢と同棲百二十日におよび、彼に非常なる愛着をもっていたこと、そして八日目にかえってきた彼の声を開き、嬉しさのあまり吹矢の首にとびつき、不幸にも彼を締め殺してしまった顛末などは、想像もしていないだろう。
 あの「生きている腸(はらわた)」が、まさかそういう女性の腸(はらわた)とは気がつかなかった医学生吹矢隆二こそ、実に気の毒なことをしたものである。

資本論

 マルクス=エンゲルス全集というと、赤茶色クロース表紙の書籍が、私たちの目にある。この本のために、これまでの日本の読者は、どんなに愛情を経験し、また苦労をなめてきただろう。階級のある社会に生活をいとなんでいる以上、そのなかで働いて生活している者であるかぎり、文化の仕事をしていようと肉体の労働にしたがっている人々であろうと、いわば常識の底岩として、それぞれの理解力にしたがって生活知識のうちにうけいれられていていいはずの、この本の赤茶色が、日本では思想犯のきせられる煉瓦色の獄衣の色に通じていた。過去十数年の間、ひどい時期には、この赤茶色の本は、たとえ一冊でも、徳川時代の禁書のように天皇制権力の目からかくされた。そして、かくされればかくされるほど、それは人々の生活の奥へもぐり、現実によってその理論の真実をたしかめられつつ思想の底にしみいって生きつづけ、こんにちヨーロッパとアジアにはばひろく流れる人民民主主義への源泉となった。
 マルクス=エンゲルス全集については、またもう一面の苦労があった。それは、翻訳の文章がむずかしいことである。ドイツ語のよめる人はいつもドイツ語の原文はよくわかると云っていた。これまでの改造社版ができた頃の日本の解放運動のなかで、一つの癖のように使われたぎくしゃくした明晰を欠いた文章がひっかかりとなって、たださえむずかしい部分が、まるでむずかしかった。ほんとに頭が痛くなった。マルクス=エンゲルスの論理的な文章と日本語の構成的集約的でない言語の性格との間から、がたがたしたところができていたのだろう。
 こんど新しくマルクス=レーニン主義研究所からもっとも信頼できる人々の手でマルクス=エンゲルス選集が出版されることを私はひじょうにたのしみに思い、よろこばしく思う。こういう本は、学問上の一定のむずかしさはさけがたいにしろ、こんなに急速に発展する人類の生きている古典として、だれにでも、その人の必要と理解力に応じて役に立てられてゆくものでなくてはならない。マルクス=エンゲルス全集というと、その書籍を飾っておくこともその一部分をよんだということも一つのこけおどしであった時代はとうにすぎ去っている。
 私は「資本論」をよみとおすことはできなかったけれども、他の部分では、作家として、女として、多くのことを学ぶことができた。文学が、これからますます人民の歴史を語るものになろうとしているとき、文学者は既成の「文学」の枠内で、新らしい骨格を養うことは、ほとんど絶対に不可能である。文章の上からだけいっても社会科学の用語が、小説のなかの生きた言葉になりつつある。生活の現実と実感がそこまでひろがって来ている。
 新版のマルクス=エンゲルス選集は、現代作家のだれだれのところに置かれるようになるだろうか。マルクス=エンゲルス全集、レーニン全集、スターリンの論文集と三つを眺めわたすと、その文体にまでも人民解放の歴史の足どり、社会主義の実現と発展のあゆみがてらし出されている。このことは私たちを感動させる事実である。

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